朝9時にホールに着くと、すでに遠方からの受験者達が到着していた。
同じクラスからは自分を入れて4人。
草食系の中国人ヤン、天才肌のマルク、パエリア作りの達人ヴィセンテと一緒だ。
点呼の後、演奏順を決めるクジを引く。
・・・3番。かなり前のほうだ。ついてない。
点呼の時に、「モーツァルト協奏曲の後に、このオケスタ(前号参照)を、この順番で演奏してください。」と発表されるので、演奏順が後のほうが落ち着けるし、最後の‘ひとさらい'ができるのだ。
控え室に入って5分も経たない間に
「ヌンマードライ、ビッテ(3番の人、どうぞ)」と声が掛かる。
舞台に上がると、そこにはポツンと笑顔の伴奏者(初対面)。幅のあるステージを覆い隠す長いカーテン。
物価の高いスイスではいくらするんだろうか。そんなことが一瞬頭をよぎる。
この先に、本当に審査員がいるのだろうか。
会場となったホール。二階のバルコニー席の両端をワイヤーで結び、カーテンをそこに通してあった。この写真はJ-J.カントロフ指揮シェーンベルクの室内交響曲のGPのもの。自分はEH。
指揮の身振りで、伴奏者に自分の演奏したいテンポを伝える。
「オーケー、任せて!」のウィンクとともに前奏が始まった。
(・・・・・あれ、遅い?)
オーディションの雇われピアニストには、爆走タイプと爆遅タイプしかいないのか、などと勘ぐる。*そんな事はありません*
自分の演奏が始まり(始めるというより、ここまでくると勝手に体が動く)気付いたら終了を告げるベルが鳴っていた。
とりあえず一つのミスも無く吹けた。遅いよネーチャン。
ここのオーケストラは一次からオケスタがあった。
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲のセカンドオーボエパート。
休みが殆ど無く、低音域を小さな音量で延々と吹き続ける、安定感と和声感が試される曲だ。
綺麗な曲だけれど、1人で下手に演奏すると御経のようにのっぺらぼうに聞こえてしまう。
バカ正直に小さい音量ではじめるのは良くないと思い、柔らかい音のでるリードで少し大きめに吹いたと思う。
出来るだけ丁寧に。ディミヌエンド(だんだん小さくの表記)の場所で無理しない。そんな事を確認しながら。
演奏が終わると、審査員がカーテン越しに何か言ってきた。
ドイツ語初心者だった自分は、伴奏のネーチャンに詰め寄り耳に手を当てる。
「もっと小さい音量でもう一回吹いて、だそうよ。」
ああこんな事もあるんだなぁと思いながら、音量は変えず今度は御経さながら吹いたら、これが好みだったらしい。
1次で3人まで絞られ、その中に入ることができた。でもその発表でプツりと何かが切れてしまった。
すぐに舞台に呼ばれたが、慌ててしまって2次のオケスタ(ストラヴィンスキーなど)の楽譜が見つからない。
事務の人が、近くにいた子に、僕に楽譜を貸すよう頼んでくれたので何とかなったが、
肝心の演奏はどこかセセコマシイ感じになってしまった。
これではダメだ。恥ずかしかった。
他の2人が演奏し終わり、10分ほど待っただろうか。
事務の人が、一枚の紙を持って現れ、口を開いた。
「・・・コースケハットゲヴォン(コウスケが勝ちました)」
まばらな拍手がパチパチパチ
意外すぎて、何がなんだかわからなかった。
おかしいと思った。何人かの人が握手を求めてきたが、呆然としていた。
僕は勝ったのか。勝つって何だ。
スッチーかハープ奏者のお嫁さんを貰う日(何人かの著名なオーボエ奏者のお嫁さんはこの2つの職業のどちらか)が近づいているのか。
こんなんでいいのか・・・。
モノオモイに耽っていると、ホールから審査の楽員が出てきて、事務とどうやら話をしている。
「エンツシュールディグング(すみません)!○○○ハットゲヴォン」
一緒に2次に進んだ別のヤツの名前が呼ばれた。
どうやら、事務の人が間違えたらしい。
やっぱりな。と思った。
怒る気にもならなかった。
楽団員から、アドヴァイスを貰ってホールを後にしました。
こうしてはじめてのオーディションは終わります。
ホールの横で引っ掛けたビールは、いつもより苦かったかな。
おしまい